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福岡地方裁判所 昭和35年(わ)1230号 判決

被告人 張[日景]根 外二名

主文

被告人三名はいずれも無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、被告人等はいずれも韓国に国籍を有する外国人であるが、

第一、被告人三名は共謀の上、被告人姜万順及び同李炳均において有効な旅券又は船員手帳を所持していないのに、昭和三十五年十一月十四日午後六時過頃韓国多太浦海岸より小型発動機船に乗船して出航し、翌十五日午後八時三十分頃日本国佐賀県東松浦郡玄海町大字今村トリガ崎海岸に到着して上陸し、以て不法に本邦に入国し、

第二、被告人張[日景]根は同月十五日午後八時三十分頃前記トリガ崎海岸において、旅券に上陸許可の証印を受けることなく上陸し、以て不法に本邦に上陸し

たものであるというにある。

そこで、右各訴因につき審案するのに、被告人三名の当公廷における供述、司法警察員作成の被疑者金信子こと被告人姜万順及び被疑者李吉道こと被告人李炳均に対する緊急逮捕手続書、被告人張[日景]根に交付された韓国政府発行の外交官旅券の複写々真及び被告人張[日景]根作成にかかる日本国法務大臣宛の西歴一九六〇年四月十八日再入国許可申請書写各一通、被告人三名の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書(合計六通)を綜合すれば、右各訴因はこれを優に認めることができる。

しかるところ、被告人及び弁護人等は、被告人等の本件所為は被告人張[日景]根等の生命、身体、自由等に対する現在の危難を避けるためやむを得ないでした行為であつて、刑法第三十七条第一項の緊急避難行為に該当し、無罪である旨主張するので、以下右主張について審究する。

(甲)  先づ、前掲各証拠の外当裁判所の照会に対する外務省アジア局長作成の亜北第三〇一二号回答書並びに同回答書添付の聯合新聞に対する飜訳人青木実の飜訳書と証人森田芳夫の当公廷における供述、京郷新聞、韓国日報、東亜日報合計六通(弁護人証拠取調請求の順序五乃至十号)、法令条文集(同上の順序十三号)を綜合すると、次の事実が認められる。

一、被告人等の主な経歴と身分関係。

(1) 被告人張[日景]根は昭和十年十月東京帝国大学法学部在学中高等試験司法科試験に合格し、翌十一年三月同大学を卒業、同年五月朝鮮総督府司法官試補を拝命、昭和十二年十二月京城地方法院判事、昭和十六年五月京城覆審法院判事を夫々歴任、終戦後の昭和二十年八月韓国ソウル地方法院長に就任、昭和二十三年十月右法院長を辞任し弁護士開業、昭和二十四年一月より昭和二十五年三月まで韓国政府内務部次官(以下韓国政府を省略)、昭和二十五年五月より昭和二十六年六月まで国防部次官、更に昭和三十二年二月より同年九月まで内務部長官等を歴任した外、昭和二十九年二月李承晩元大統領を党首とする韓国自由党に入党、同年五月から昭和三十五年四月まで引続き韓国民議院議員をつとめ、その間に同党の党務委員兼政策委員長(昭和三十四年七、八月頃以降)及び正副統領選挙対策委員会企劃委員会委員(以下単に企劃委員ともいう)(昭和三十四年十月頃以降)等に就任、又昭和二十八年より昭和三十五年四月頃までの間の第二次乃至第四次日韓会談に際し韓国政府代表にも就任していたものであつて、後記の如く昭和三十五年四月韓国の首都ソウルでいわゆる革命デモが発生した当時においては、前記民議院議員で自由党の党務委員兼政策委員長及び企劃委員に就任していた外、第四次日韓会談における韓国政府代表として渡日していたものである。

(2) 被告人姜万順は昭和二十六年頃被告人張[日景]根と結婚し、爾来同人の妻としてその生活を共にし、その間に五名の子女をもうけているものである。

(3) 被告人李炳均は昭和二十五年六月韓国大邱陸軍綜合学校士官候補生となつた頃から、当時国防次官であつた被告人張[日景]根と知り合い、爾来同人方に親しく出入りし、昭和三十四年三月頃既に憲兵大尉に昇進していたが、被告人張[日景]根の秘書として同人に自己の将来を託することにしてその頃軍籍を離れ、同年八月頃から専ら同人の秘書として勤めていたものである。

二、被告人等の本件犯行に至る経緯。

(1) 昭和三十五年(西歴一九六〇年)三月十五日韓国において第四代大統領及び第五代副統領の選挙(国民直接選挙)が行われ、李承晩が大統領に、李起鵬が副統領に夫々当選したが、首都ソウルにおいて同年四月十九日及び同月二十五日夕刻から翌二十六日にかけて、右選挙に不正があつたと抗議し、李承晩政権の退陣を叫ぶ大規模なデモが行われ、遂に同日李承晩は大統領を辞職する旨の声明を発表し、翌二十七日国会に辞表を提出するに至つたので、翌二十八日許政外務部長官が韓国憲法の規定により大統領の権限を継承して管理内閣を組織し、次いで同年五月三日国会は李承晩の第三代大統領の辞任と次期(第四代)大統領としての当選破棄を宣言するに至つた。

(2) これより先、被告人張[日景]根は第四次日韓会談の韓国代表として渡日していたが、前記デモの発生を知るや、今度は危いから帰るなどの家族よりの電話連絡にも拘らず、前記選挙の不正につき覚えはないとして、同年四月二十二日敢えて韓国に帰つて行つたところ、検察官憲により同年五月二十三日前記選挙に関する既存の法律たる大統領副統領選挙法違反の嫌疑でソウル刑務所に逮捕収監され、次いで同年六月五日ソウル地方法院に右選挙法違反事件につき起訴せられた。右起訴事実の要旨は被告人張[日景]根が自由党企劃委員であつて、他の同企劃委員及びその他の者等と共謀の上、(イ)自由党立候補者の当選を得る目的で、対立党派である民主党立候補者の側より使用許可申請のなされた選挙演説会場について、これを不法に許可せず、その使用を許さないで集会、演説の妨害をし、(ロ)自由党立候補者の選挙運動に利用する目的で公益機関たる内務部に十数億圜の金銭を提供し、警察官その他の公務員をして自由党立候補者のための選挙運動を行わしめ、(ハ)投票場所で自由党員に腕章を着用させる等して正当な理由なく投票に影響を与える行為をし、(ニ)その他自由党立候補者の得票数が極端に多いときは、却つて選挙の公正を疑う非難の生ずべきことを慮り、これが得票数を不正に増減発表したというにあつて、右は前記選挙法第七十七条、第八十一条、第八十三条、第九十条、第九十三条に該当するものとし、右罰条の法定刑中最も重いものは三年以下の懲役若しくは禁錮に処すべきものとされていた。

そして、被告人張[日景]根と同時に、又はこれと前後して前記選挙法違反の嫌疑により自由党企劃委員、国務委員、内務部長官を含む内務部官僚、法務部長官、ソウル特別市々長等合計七十名が不正選挙の元兇として起訴せられた。

(3) 次いで、同年六月十五日韓国憲法改正法(第一次改正)が公布施行され、これによつて内閣責任制が確立されると共に、副統領は廃止されて大統領直接選挙制が間接選挙制に改められたが、前記大統領副統領選挙法については、何等特別の法的措置も講じられなかつた。そして、同月十八日被告人張[日景]根に対し、更に前記得票数を不正に増減した選挙違反の犯罪事実といわゆる一所為数法の関係にあるものとして刑法犯たる虚偽公文書作成及び同行使罪(その法定刑は十年以下の懲役)の事実が追起訴され、前記選挙違反事件と併合審理されることとなつた。

(4) ところが、被告人張[日景]根は持病の糖尿病と高血圧病が悪化して身柄の拘禁を継続し難い状態となつたので、同年七月十六日保釈許可によりソウル刑務所を出所してソウル大学病院に入院した。しかし、ソウル地方法院では引続き同被告人に対する審理を進め、同被告人においては起訴事実就中共謀関係を否認すると共に、前記第一次憲法改正により前記選挙法は廃止されたものであると主張して、いわゆる刑の廃止による免訴の裁判等を求めたが、検察官より同被告人に対し懲役十二年の論告求刑がなされ、同年九月三十日結審となつてその判決言渡期日は同年十月二十五日と指定された。そして、ソウル地方法院ではその頃から同種事件の他の一部の被告人らについて判決言渡を行つたが、右免訴論については判事により積極、消極と相反する裁判が言い渡されるに至つた。

(5) かくして、同年十月八日言い渡されたソウル特別市々長任興淳外六名に対する判決――右市長、懲役五年(求刑及び起訴罪名、以下同じ――死刑、殺人未遂、選挙法違反、公文書偽造)、同市副市長崔応福、公訴棄却(三年、選挙法違反)、同市内務局長金容積、免訴(三年、選挙法違反、横領)元法務部長官洪[王進]基、懲役九月(死刑、殺人教唆、選挙法違反、公文書偽造、誣告教唆)、内務部治安局長趙寅九、無罪(三年、殺人教唆)、ソウル市警察局長柳忠烈、死刑(死刑、殺人、選挙法違反、公文書偽造)、李益興、無罪(死刑、殺人未遂)、金宋元、無罪(死刑、殺人未遂、偽証)――が報導されるや、前記四月革命の遺族や負傷者達は右裁判が寛に過ぎるものとなし、同月十一日革命特別立法要求デモを行ない、約五十名の負傷者が本会議開会中の民議院議場に乱入する事態に立ち至つた。これより先、同年七月二十九日両院議員の選挙が行われ、同年八月二十三日張勉を首班とする民主党内閣が成立していたが、右革命特別立法要求デモが発生するや、即日(十月十一日)民議院は「四月革命完遂のための改憲等特別立法促進に関する決議」を本会議において満場一致で採択し、ここに(イ)法制司法委員会は同月十五日までに四月革命完遂のための憲法改正案を起草し法定人員数の賛成署名を得て提案すること、(ロ)同委員会は同月三十一日までに民主叛逆者処罰、不正蓄財還元等のための特別法案を起草して提案すること、(ハ)民議院は改憲案の公告期間(三十日間)中に各種特別法案に対する第二読会審議を完了し、改憲案通過直後に第三読会審議に着手することを決議した。

次いで、翌十月十二日民主叛逆者に対する刑事々件臨時処理法が国会を通過し、翌十三日に公布施行されたが、同法は前記(ロ)の特別法が制定されるまで、これまでの関聯犯罪者の裁判手続を中止し、特別法の制定を俟つて、所謂革命裁判をやり直すため、身柄拘束期間を延長でき、釈放者(既に無罪或は免訴の裁判を受けた者をも含む趣旨と解される)を再拘束できるとしたものであつた。

(6) 続いて、同年十月十七日大統領公告第一号により憲法改正法案(第二次改正)が公告され、その主な改正点は前示(1)記載の大統領副統領選挙に関聯して不正行為をなした者等を処罰し、又同年四月二十六日以前に特定地位にあることを利用して反民主的行為をなした者の公民権を制限し、更に同日以前に地位又は権力を利用して不正の方法で財産を蓄積した者に対する行政上若しくは刑事上の処理をする特別法を制定することができること、上記刑事々件を処理するため特別裁判所及び特別検察部を置くことができること、これらの特別法はこれを制定した後再び改正することができないというものであつた。

そして、同月三十一日の新聞紙上に民議院法制司法委員会が右改正憲法案に基き起草した特別法たる不正選挙関聯者処罰法、不正蓄財処理法、特別裁判所及び特別検察部組織法の各法案が、又同年十一月五日の新聞紙上に右各法案及び反民主行為者公民権制限法案が夫々報道され、右各法案中被告人張[日景]根に関係のある主な事項を見ると、次のとおりである。

先づ、(イ)不正選挙関聯者処罰法案によると、前記不正選挙当時の大統領、国務委員、大統領秘書、自由党々務委員、自由党正副統領選挙対策委員会、企劃委員会委員等で不正選挙の主導的な行為をした者は死刑、無期又は七年以上の懲役若しくは禁錮に処することが規定され、次に(ロ)特別裁判所及び特別検察部組織法案によると、特別裁判所に審判部五部と聯合審判部が置かれるが、各審判部は法官、四月革命団体代表、弁護士、大学教授、言論人各一名の五人構成となり、聯合審判部は特別裁判所長と審判官全員を以て構成され、審判部の判決に対しては死刑、無期に限り聯合審判部の再審判を請求することができるものとし、更に審判部及び聯合審判部の審判期間は起訴又は再審判請求の日より三月に限定されることが規定され、しかも、同法案附則によれば、「本法(特別裁判所及び特別検察部組織法をいう、以下同じ)施行当時に不正選挙関聯者処罰法に該当する者で、既に捜査、起訴された者は、本法によりこれを捜査、起訴したものと看做す」こととされ、この場合改めて起訴状を提出する必要がないものとされていた。

なお、後記の如く被告人張[日景]根らがソウル大学病院より逃走を企てた同年十一月十二日より間のない同月二十八日には前記第二次憲法改正法案が国会で可決せられ、翌二十九日公布施行となり、又同月十六日及び十七日には右(イ)(ロ)の右特別法案が相次いで民議院本会議に上提され、何れも原案通り国会を通過して、(ロ)の特別裁判所及び特別検察部組織法は同年十二月三十日に、(イ)の不正選挙関聯者処罰法は同月三十一日に夫々公布施行された。

(7) 一方、前示(5)記載の民主叛逆者臨時処理法が施行された結果、ソウル地方法院が同年十月二十五日に指定した被告人張[日景]根に対する判決公判は中止されるに至つた上に、前示(6)記載の第二次憲法改正法案及び新聞紙上に報道されたこれに基く特別法案は、前示(5)に記載したような背景的事情並びに民議院で「四月革命完遂のための改憲等特別立法促進に関する決議」を満場一致で採択している事跡等よりして、何れも短期間内に殆んど原案通り成立施行せられるべきことが当然予想されたと同時に、それが成立施行の暁においては、被告人張[日景]根が自由党々務委員及び企劃委員という特定の職位に在つた故をもつて、先づ第一に従前の起訴事実に対し従前の法定刑よりはるかに重い法定刑(死刑、無期又は七年以上の自由刑)を定めた前記不正選挙関聯者処罰法が遡及して適用されることとなり、第二に法官の資格を有しない審判官、就中革命団体代表者たる審判官を構成員とする審判部により審判されることとなり、第三に死刑、無期以外の判決については再審判の請求は許されないし、死刑、無期の判決でも再審判の請求が許されるに止まることも明白となつた。かくて、被告人張[日景]根は、改正前の憲法が明文をもつて保障した法の前に平等の原則、遡及刑罰立法禁止の原則、法官の資格を備えた裁判官による裁判を受ける権利及び三審制の最上級審たる大法院の裁判を受ける権利――これらの原則乃至権利は憲法改正によつてもうばい得ない筋合のものである――が全て失われるばかりでなく、従前の裁判で主張した免訴論は勿論、事実否認の弁疏も採用される見込みが全くなくなり、特別裁判所の審判はいわば勝者が敗者を裁く報復的審判と化し、公正妥当な審判は到底期待できず、当然過酷の刑罰に処せられる事態に直面するに至つたと自ら判断し、しかも前記民主叛逆者臨時処理法が施行された結果、いつ保釈が取り消されて再収監されるやも測り知れない情勢ともなつた上に、もしも収監されるときは持病が増々悪化し、刑罰の執行を待たずして生命を失うに至るべきことを懸念すべき事態でもあつたので、急遽国外に脱出を企てる以外に、これが危難をまぬかれる途がないものと考えるに至つた。

(8) そこで、被告人張[日景]根は遂に同年十一月六日頃妻である被告人姜万順及び秘書である被告人李炳均にその情を打ち明けて国外脱出についての協力を求め、右被告人両名は、当時被告人張[日景]根の持病が悪化(当時血糖三六〇ミリ前後、収縮期最高血圧約二〇〇―拡張期最低血圧約九〇ミリ)していて歩行も極めて不自由な状態であつて、その国外脱出行為には当然相当の困難が伴い、適当な看護者乃至補助者が同行しなくてはその国外脱出及び脱出先における生活行動が極めて困難な実情にあつたので、自らその看護者乃至補助者となつて被告人張[日景]根の前記危難を避けしめ、又その国外脱出に協力する以上、自ら犯罪人逃亡援助罪に問われる虞れもあつたので、右国外脱出についての協力を承諾して共に脱出を計ることを決意するに至つた。そして、これが避難先については、前示(甲)の一記載の被告人らの経歴、脱出費用の多寡、当時の交通事情下における脱出成功の難易その他被告人張[日景]根自身については日本国の再入国許可証を所持していること等諸般の事情を考慮して日本国を最も適当な避難先として選定した上、同年十一月十二日夜被告人三名は予て準備した計画に従い、ソウル大学病院を密かに抜け出して釜山に近い多太浦海岸に到り、同月十四日右海岸より日本国福岡県小倉市の小倉港岸壁に上陸できるように依頼していたいわゆる小型の密行船に便乗して韓国より脱出したが、何分にも密行船のこととて所期のとおり右小倉市に向うことができず、翌十五日午後八時三十分頃図らずも右密行船が日本国佐賀県東松浦郡玄海町大字今村トリガ崎海岸に到着し船長より下船を要求されたので、やむなく同所より上陸して本件犯行を敢行するに至つた。

三、その後の韓国における不正選挙関聯者等に対する処分の模様。

被告人張[日景]根に対する前記選挙違反事件は、同被告人逃走中として昭和三十六年一月上旬発足した特別裁判所に引継がれて同裁判所に係属した外、同裁判所は同年四月十七日前記不正選挙関聯者処罰法を適用して右不正選挙当時の内務部長官等に対して次のような判決を言い渡した。

内務部長官崔仁圭、死刑(求刑及び起訴事実、以下同じ――死刑、同法第三条第一項「主導的行為」)、内務部次官李成雨、懲役七年(懲役十年、同法第四条「積極的協調行為」)、治安局長李康学、懲役十五年(懲役十五年、同法第五条第二項「暴力行為」)、地方局長崔炳煥、懲役五年(懲役十年、同法第四条)等。

(なお、その後の同年五月中旬勃発した軍事革命の結果、同年六月下旬右特別裁判所が廃止されて新たに革命裁判所が設置され、右革命裁判所において特別裁判所に係属していた被告人張[日景]根に対する被告事件は勿論、右崔仁圭らに対する被告事件をも引継いで再審判することとなり、同年九月二十日革命裁判所は右崔仁圭らに対し次のような判決を言い渡した。右崔仁圭、死刑。李成雨、懲役十年。李康学、死刑。崔炳煥、懲役八年。自由党企劃委員長韓熈錫、死刑。同総務部長朴容益、無期等。

(乙)  以上認定の事実関係に基き、被告人等の本件所為が刑法第三十七条第一項の緊急避難行為に該当するか否かについて、以下逐次に判断する。

一、被告人張[日景]根に関する「現在の危難」の有無及びその他の要件について。

(1) 被告人等が国外脱出を企て、本件犯行を敢行するに至つた事由は、前示(甲)の二の(7)及び(8)に認定したとこによつて明らかな如く、被告人張[日景]根が、第一に特別裁判所において遡及立法である不正選挙関聯者処罰法による重刑を科せられること(当然にその執行を含む、以下同じ)、第二に右遡及的重刑による処罰を前提とし民主叛逆者臨時処理法により保釈が取り消されて再収監されること等の危難をまぬかれるためのものであり、更には右刑罰の執行や保釈取消による再収監のために自己の持病が悪化して生命の危険が生ずべきことをまぬかれるためのものであつた。即ち、本件所為は、刑法第三十七条第一項にいわゆる「自己(被告人張[日景]根自らについて)又は他人(被告人姜萬順、同李炳均の側からいつて)の生命、身体、自由に対する……危難」を避けるための行為であつたということができる。

(2) そこで、先づ被告人等の避けんとした第一の危難、即ち前記の如く張被告人が特別裁判所において遡及的な重刑を科せられるという危険が、本件犯行当時はたして刑法第三十七条第一項にいわゆる「現在の危難」と目すべき段階にまで達していたかどうかを検討することにしよう。

同条にいわゆる「現在の危難」とは、既に昭和二十四年八月十八日最高裁判所第一小法廷が同年(れ)第二九五号事件につき言い渡した判決中に説示しているとおり、同法第三十六条にいわゆる「急迫………の侵害」とほぼ同じく、必ずしも侵害の現実性を意味するものではなく、法益の侵害が間近に押し迫つたこと、即ち法益侵害の危険が緊迫したことを意味するものと解するのが相当であり、そして右にいう危険の緊迫性は各個の事件毎に飽迄も具体的に判断されるべきものであるが、概して言えば、単なる個人が手拳や棍棒を以て、或は何らかの機械や装置によつて攻撃を加えようとする場合、又はある集団がその組織を利用して害悪を行おうとする場合、さらには巨大な機構と整然たる組織とを有する国家が時にその権力を異常に行使しようとする場合など、各その侵害の主体、規模、方法、内容等に応じ自ら段階的に相違することを免れないであろう。換言すれば、その侵害行為が個人的突発的瞬間的な言わば単純な肉体的動作として現れる場合と、それが集団組織的計画的連鎖的ないわば巾と長さとを持つた複雑な社会事象として現れる場合とに応じ、右にいわゆる危険の緊迫性が認められる時期乃至段階――裏からいえばこれに対する緊急避難行為を開始し得べき時期乃至段階――も自ら異つたものとならざるを得ないこと、これまた前記第一小法廷の判決中に示唆されているとおりである。そして、前者即ち個人の単純な動作による侵害の場合においては、右の危険の緊迫性を判定することが比較的に容易であつて、特段の基準を示す要もないほどであるが、後者即ち集団組織的な侵害の場合においては、事態をそのまま放置し拱手傍観しているならば侵害の実現が必至(時間的にある程度の長短があるとしても)と認められる状態に立ち至つた時期乃至段階を以て、右危険の緊迫性を判定する一般的な基準とすることができよう。

なお、同条に言う「危難」即ち法益侵害の危険ということが侵害者と被侵害者との間において発生する相関的関係であることに鑑みれば、その緊迫性を認むべき時期乃至段階も、侵害者の側における前述の諸要素のみならず、他面被害者自身の側における諸種の条件、即ちその行動能力の優劣或は遅速又はその置かれている位置環境、さらにはそこで採られ得る避難行為の方法態様等に応じ、多少の相異を免れないことは、之亦理の当然に属するものと考えられる。

右のような観点から、前示(甲)において詳細に認定した事実関係を改めて重点的に見直してみよう。

先づ、右(甲)の二の(1)の昭和三十五年のいわゆる四月革命にも拘らず、同(2)記載の如く敢えて帰韓し、自らは潔白と信じ乍ら右(2)記載の起訴に対しても同(4)記載の如く通常の裁判手続に服し、その手続の中で自己の主張を貫こうとしていた被告人張[日景]根並びにその妻及び秘書をして、本件のような密入国行為に走らしめた韓国政情の変動は、同(5)第一段記載の如く同年十月十一日に発生した四月革命遺族等の抗議デモ及びその民議院議場乱入並びに即日民議院が「四月革命完遂のための改憲等特別立法促進に関する決議」を満場一致で採択したことにその端緒を発するものであつて、右決議の内容が右(5)第一段の(イ)(ロ)(ハ)に掲記の如きものであることを思えば、既にこの時において、その後の第二次憲法改正並びに遡及的刑罰規定等を含む各種特別立法を行うための軌道は現実に敷設されたものと視ることができる。

そして、既設の右軌道に沿い、右(5)第二段記載の如く、各特別法が制定されるまでの臨時措置として、従前の裁判手続中止、拘束期間の延長、釈放者の再拘束等を規定した「民主叛逆者に対する刑事々件臨時処理法」が早くも翌十二日に国会を通過し、続いて翌十三日現実に公布施行された。(そして同法施行により同年十月二十五日に指定されていた被告人張[日景]根に対する判決公判も現に中止されたこと同(7)の冒頭に記載の通りである。)

次いでまた、右軌道に沿い、同(6)第一段記載の如く同月十七日にはいわゆる不正選挙関聯者等を遡及的に処罰するための特別立法を行う権限を国会に与え、且つ右刑事々件を処理するため特別裁判所及び特別検察部を置くことができる旨を定めた第二次憲法改正法案の公告が、改正前の韓国憲法第九十八条第二項第三項所定の同法改正手続の一環として、現実に行われた。

そして、斯様な情勢の裡に、右公告案どおりの第二次憲法改正法案(改正前の韓国憲法第九十八条第五項の解釈上可決か否決かの何れかであつて修正を許されない)が所定の期間三十日を経過後(即ち十一月十六日以降)速かに成立することを予測し、直ちにこれに即応して各種特別法をも成立せしめ得るよう、前記(5)第一段の(ハ)のとおり予め各法案の審議を進めて置くための措置として、同(6)第二段記載の如く、民議院法制司法委員会が起草した特別法たる不正選挙関聯者処罰法案(上記(6)第二段の(イ)のとおりいわゆる不正選挙関聯者に対し遡及的に死刑、無期又は七年以上の自由刑を科し、而も自由党々務委員或は同党企劃委員等政治的地位を加重構成要件として規定せるもの)並びに特別裁判所及び特別検察部組織法案(上記(6)第二段の(ロ)のとおり四月革命団体代表等を構成員とする特別裁判所の設置、上訴の制限、従前の起訴事件の自動的承継等を規定せるもの)その他の各法案が同年十月三十一日等の新聞紙上に報道された。かかる遡及的な刑罰等を含む特別立法の方向は、既に同月十一日の前記抗議デモ発生の際行われた「四月革命完遂のための改憲等特別立法促進に関する決議」の時において決定していたことであり、ただその方向内において遡及的な刑罰の内容が死刑、無期又は七年以上の自由刑という重刑であり、又これを取り扱う特別裁判所の構成が四月革命団体の代表者までをも含むこと等が、右法制司法委員会の草案発表によりこゝに具体的に明らかになつたわけである。

以上の推移を顧み、その背景となつている諸情勢を考え合せるとき、すべては、前記十月十一日の抗議デモの発生に基く民議院の特別立法促進に関する決議成立の時に敷設されたいわゆる不正選挙関聯者に対する遡及的な重刑による処罰という軌道に沿つて、着々進行しつつあつたものであり、右不正選挙関聯者処罰法案等の発表を契機に被告人等が本件密入国を決意するに至つた同年十一月初旬の時点において、事態はその後も同様の軌道に沿つて進行すべきこと必至の状態にあつたものと目することができよう(そして、このことは前示(甲)の三に略述したような韓国におけるその後の現実の経過に徴しても十分裏付けできるところである)。

しかも、他方被告人張[日景]根は、これより先前示(甲)の二の(2)記載の如く同年六月五日いわゆる不正選挙関聯者として起訴され、同(4)記載の如く同年七月十六日以来保釈中でソウル大学病院において重患を療養しつつあつたものであり、前記特別立法成立の暁は右起訴が当然に引き継がれ、身柄再拘束の可能性も存したことが覗われるのであつて、何れにせよ同被告人は本件密入国を決意した当時既に具体的に韓国司法権の支配下に繋がれていたものと認められる。そして、もしもその身柄が再拘束されたときは、その拘禁は刑罰の執行に直結し移行すべく、ここに避難の余地を求めることは殆んど不可能というも過言ではあるまい。しかも、本件の避難行為は国外への脱出行為である上に、病躯をもつてこれを行わなければならない事情にあつたこと等に鑑みれば、その実行の機会をとらえることが極めて困難な事柄であることは多言を要しないところであろう。

以上摘記したところによつてこれを観ると、被告人等が本件密入国を決意した昭和三十五年十一月初旬の韓国における諸般の情勢は、もはや単に将来に予測される危険の域を超え、被告人等において事態をそのまま放置し拱手傍観していたならば、被告人張[日景]根に対する遡及的な重刑による処罰という同被告人の生命、身体、自由に対する法益侵害の実現が必至と認められる緊迫した状態にあつたものというべく、前記各特別法案の民議院本会議への提案、或は成立等を待たないで、又同被告人の身柄再拘束を待たないで、右危難は、既に「現在の危難」と目すべき段階に達していたものと断ぜざるを得ない。

更に、右縷述したところにより自ら明らかになつたとおり前記第二の危難等も緊迫していたものと認むべきである。

(3) 進んで、被告人張[日景]根が本件犯行をやむを得ないで行つたものであるか否かについて検討するのに、同被告人が避けんとした危難、即ち刑罰の執行及び保釈取消による身柄の拘禁はすべて法律に基く国家権力の発動として行われるものである上に、革命政権の下に重罪犯罪人として訴追されている訳であるから、同被告人においてかかる危難を避けんがためにその国外に脱出を企てたのは当然であり、その避難先を日本国に選定し、更に日本国への上陸乃至入国の手段方法が本件判示犯行のようになつたのも前示(甲)の二の(8)記載の事情によるものであつて、被告人張[日景]根自身については日本国の再入国許可証を所持していたが、同行者である被告人姜萬順、同李炳均両名はこれを有せず、日本国へ密入国せざるを得ない事情にあつたことも明らかであるから、これら諸般の事情に鑑みれば結局被告人張[日景]根において本件犯行を敢行したのは、条理上やむを得なかつたものと首肯することができる。

(4) 最後に、被告人張[日景]根は本件犯行により出入国管理令に違反し、これが法益を侵害したことはいうまでもなく、右法益が日本国の国家法益であることも明らかであるが、国家法益が常に私的法益に優先して保護すべきものとは解し難く、結局被告人等三名の本件犯行により侵された具体的な害悪と同被告人の前述生命、身体、自由等の法益に対する侵害とを比較考量するとき、前者が後者に比しより大であるとするのは相当でなく、いわゆる法益権衡の点から観ても、同被告人に対する緊急避難の成立を否定することはできない。

二、被告人姜萬順、同李炳均の関係について。

被告人姜萬順、同李炳均が本件所為に及んだ事由は、被告人張[日景]根の生命、身体、自由の法益を保護するためのものであつたことは前示(甲)の二の(8)に認定したところにより明らかであるし、右の法益について「現在の危難」が存在したことは前示(乙)の一の(2)に認定したとおりである。しかも、前示(甲)の一に認定した被告人三名の身分関係や前示(甲)の二の(8)に認定した被告人張[日景]根の国外脱出当時の病状その他の事情に鑑みるときは、被告人姜萬順、同李炳均両名において被告人張[日景]根をして右危難を避けしめんがため同人に協力し、共謀して国外脱出を計り、自らも本件犯行を敢行する以外には他に方法がなく、かかる所為に出たことは、これまた条理上やむを得なかつたものと認めざるを得ない。そして、法益権衡の点においてこれが緊急避難を是認すべきものであることは前示(乙)の一の(4)記載のとおりである。ただ、被告人姜萬順、同李炳均両名は被告人張[日景]根の国外脱出に協力するときは、自己も犯罪人逃亡援助罪に問われる虞れがあつたので、これが危難を避ける意図をも有していた旨主張するが、右犯罪について捜査官憲の捜査が行われた事跡とてなく、右危難が当時緊迫したものであつたことを肯認すべき証拠がないから、この点については「現在の危難」の存在が否定されるので、これをもつて緊急避難を理由あらしめる事由とすることができないことを附言する。

三、本件については、誤想緊急避難、期待可能性の欠缺、或は世界人権宣言第十四条とわが出入国管理令との関係如何等の観点から論ずる余地もあるであろうが、当裁判所としては、事実を仔細に考察しこれらの点につき論及するまでもなく緊急避難行為に該当するものと為すのが最も相当であるとの結論に達したわけである。

以上説示したとおり、被告人三名の本件犯行は刑法第三十七条第一項の緊急避難行為に該当するものと認められ、本件犯行はすべて罪とならないことに帰着するので、刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡をすべきものとする。

よつて主文のように判決する。

(裁判官 吉田信孝 小川宜夫 鐘尾彰文)

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